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潮音山正泉寺は天正三年八月(西暦一五七五年)約四三〇年前に
通山達大和尚禅師により開山されました。
ご本尊は聖観世音菩薩になります。
通山達大和尚禅師は萬年山松岩寺(平塚市下吉沢)
で修行し、正泉寺、慶林寺、龍洞院の三ヶ寺を開山された名僧として知られています。
従って、松岩寺は正泉寺の本寺にあたり、正泉寺はその末寺にあたります。
正泉寺の開山した天正年間というのは足利幕府が衰亡の一途をたどり、天下の実権は
織田信長の手に帰し、その信長も天正十年に明智光秀の手によって本能寺で討たれました。
そして信長の跡目を継いだ豊臣秀吉は天正十三年に天下を平定し関白の位についています。
このように世は戦国時代であり、戦乱に明け暮れる世に民衆は心身ともに疲れ果てて
生きる拠り所を失っていたのです。
乱れた現世に疲れ果て、その救いを仏教に求めるようになったのも自然の流れだったのでしょう。
このような歴史的背景の元に潮音寺正泉寺が開山されたのです。
潮音山という山号は由緒あるものであり、かの有名な金閣寺、銀閣寺の第二層がいずれも
潮音閣と称せられています。
この正泉寺は長い年月の間に多くの災禍に見舞われており、
現在の正泉寺を再建した重興の功労者は、前住職であった齊藤慶光
権大教師(現住職の齊藤靖和の父にあたる)であります。
齊藤慶光住職は、昭和十七年十月三十日、曹洞宗大本山総持寺より
神奈川県第二百六十三番、当寺の住職に任命されましたが、戦争に
応召されるなどの事情により、実際には昭和二十年八月より
正泉寺住職として安住するようになりました。
しかし、当時の正泉寺は、長い間無住の寺であり文字通り破れ寺でした。
大正大震災で本堂は倒壊し、その跡は雑草の茂るままに放置され
、しかも時代は敗戦直後、修理資材の入手もままならないような
悪状況でも、齊藤慶光前住職はこつこつと寺の再興に努めました。
当時を振り返って前住職が言ったことがあります。
「いろんな悪条件はとにかくとして、仏教徒を志した自分は
破れ寺であろうが貧乏寺であろうが一寺を預かることに生きがいを感じました。
これからどうなっていくのか、と不安になるよりも、今後のことは
自分達自身の努力如何によるものだと決心しました。そう腹に決めると
不思議なもので、前途に大きな曙光が見え、闘志がわいてきました。」
結局、齊藤慶光前住職の努力により、昭和二十四年の秋に、本堂再建の悲願が達成され
たのでした。
こうして、潮音山正泉寺は名実共に寺としての条件が備わったのでした。
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